菊花賞 菊花賞を制した名馬たち
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菊花賞過去の優勝馬
菊花賞は、JRAが主催する京都競馬場、芝3000mの重賞競走です。第1回は1938年に京都競馬場の芝3000mで京都農林省賞典4歳呼馬として始まりました。1948年に競走名が
菊花賞に変更されました。
菊花賞の出走資格はJRA所属、牡馬・牝馬の競走馬。サラ系3歳、トライアル競走の賞金獲得上位最大5頭までの外国産馬も菊花賞への出走が認められます。
菊花賞の賞金は(2006年現在で)、1着の賞金が1億1200万円、2着の賞金が4500万円、3着の賞金が2800万円、4着の賞金が1700万円、5着の賞金が1120万円となっています。
菊花賞の前走としては、「セントライト記念」「神戸新聞杯」などがあります。
2006第67回 ソングオブウインド
菊花賞に勝利したソングオブウインドは、クラブ法人「社台サラブレッドクラブ」が、2200万円(1口55万円×40口)の価格で一口馬主を募集した競走馬です。 菊花賞では8番人気ながら後方待機策から直線で一気に差し切り、重賞初制覇をGI勝利で飾りました。この時のタイム(3分2秒7)は、コースレコードを0.1秒、菊花賞のレースレコードの3分3秒2を0.5秒更新しました。父エルコンドルパサーは最後のクラシック制覇のチャンスで、初のGI産駒の誕生となりました。
ソングオブウインドの菊花賞前の戦績は、デビュー5戦目の未勝利戦で初勝利をあげ、次走の500万下戦では惜しくも2着となるが、続く夏木立賞では勝利しました。
ラジオNIKKEI賞が2着、神戸新聞杯で3着に入り、菊花賞へと繋ぎました。
2005第66回 ディープインパク
菊花賞を制したディープインパクトは生まれが北海道早来町(現在の安平町)のノーザンファームで、父は名馬サンデーサイレンスです。JRA(日本中央競馬会)の馬主として有名な金子真人は、瞳の輝きに大きな衝撃を受け、また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けたそうです。
菊花賞では三冠がかかっており、レースでは好スタートを切った後、直線に入って後続を交わし2馬身差をつけて優勝しました。11年振りで史上6頭目、そして21世紀突入後として初の三冠馬となり、また史上2頭目の無敗での三冠馬となりました。この時のアナウンサーの「世界のホースマンよ見てくれ!これが日本近代競馬の結晶だ!」という実況は、2005年のFNSアナウンス大賞を受賞しました。 菊花賞当日の入場者数は13万6701人を記録し、菊花賞記録となった。京都競馬場の入場者記録としても史上2位の記録である。菊花賞の単勝支持率は79.03%で史上2位、菊花賞優勝馬としては史上最高となりました。また40年ぶりに単勝の配当が100円元返しとなり、ディープインパクトが絡んでいる馬券は、売り上げの89%を超える、とてつもない記録でした。
ディープインパクトの菊花賞前の戦績は、デビューの新馬戦から若駒ステークス、弥生賞、皐月賞、日本ダービー(東京優駿)神戸新聞杯と、全てを1番人気の優勝で飾っており、その勢いを菊花賞にも繋げました。
2004第65回 デルタブルース
菊花賞優勝馬、デルタブルースの馬名は、「ミシシッピ河口の三角州地帯を起源とする荒々しいブルース」という母名からの連想が由来となっています。 菊花賞ではこれまでの実績から、単勝45倍の8番人気と人気薄でしたが、好位置から早めのスパートをかけて、一気に勝利しました。調教師の角居勝彦や騎手の岩田康誠が共に初のGI制覇でした。
デルタブルースの菊花賞前のレースは、デビュー6戦目の未勝利戦で初勝利を挙げたものの、次走の重賞初挑戦である青葉賞では13着と大敗しました。続く500万下戦で2勝目を挙げ、兵庫特別は5着でしたが、九十九里特別で3勝目を挙げて菊花賞に臨みました。
2004第65回 デルタブルース
菊花賞優勝馬、デルタブルースの馬名は、「ミシシッピ河口の三角州地帯を起源とする荒々しいブルース」という母名からの連想が由来となっています。 菊花賞ではこれまでの実績から、単勝45倍の8番人気と人気薄でしたが、好位置から早めのスパートをかけて、一気に勝利しました。調教師の角居勝彦や騎手の岩田康誠が共に初のGI制覇でした。
デルタブルースの菊花賞前のレースは、デビュー6戦目の未勝利戦で初勝利を挙げたものの、次走の重賞初挑戦である青葉賞では13着と大敗しました。続く500万下戦で2勝目を挙げ、兵庫特別は5着でしたが、九十九里特別で3勝目を挙げて菊花賞に臨みました。
2003第64回 ザッツザプレンティ
菊花賞優勝馬のザッツザプレンティの馬名は「こいつは最高だ」という意味で、父・ダンスインザダークの最高傑作になるように命名されました。その甲斐あってか、菊花賞の親子連覇を成し遂げました。
菊花賞ではザッツザプレンティは5番人気でしたが、4コーナーで先頭に立ち後続の追い込みを封じて勝利しました。またこの菊花賞の勝利はサンデーサイレンス孫世代での初GI勝利となりました。
ザッツザプレンティの菊花賞前の戦績は、デビュー新馬戦と3戦目のラジオたんぱ杯2歳ステークスで勝利したものの、その後は弥生賞6着、皐月賞8着、日本ダービー(東京優駿)3着、神戸新聞杯5着と勝てないレースが続き、菊花賞に雪辱を期して出走しました。
2002第63回 ヒシミラクル
菊花賞を制したヒシミラクルは、人気薄ながらも宝塚記念・天皇賞(春)も制覇しました。 菊花賞には抽選を潜り抜けて、またクラシック登録が無かった為に、追加登録金を払っての出走となりました。人気は10番人気と低かったのですが、スタート直後に1番人気が落馬となり、自慢のスタミナを発揮して、最後は追い込んできたファストタテヤマをハナ差退け見事に優勝しました。その結果3連複が34万馬券となる大波乱となったのです。
ヒシミラクルの菊花賞前の戦績は、デビュー以来ずっと勝てず、10戦目の未勝利戦でやっと初勝利を挙げました。その後はぶっぽうそう特別が2着、売布特別で優勝、佐渡特別・洞爺湖特別では共に3着、野分特別で優勝後、神戸新聞杯では6着に終わり、菊花賞に臨みました。
2001第62回 マンハッタンカフェ
菊花賞優勝馬のマンハッタンカフェは、主戦騎手は蛯名正義で天皇賞(春)にも勝ち、セレクトセールでは、1億4000万円で落札されました。 菊花賞ではマンハッタンカフェは6番人気ながら、見事にGIでの初タイトルを獲得しました。
マンハッタンカフェの菊花賞以前のレースは、デビュー2戦目の新馬戦で初勝利を上げ、初重賞挑戦の弥生賞では4着に入りました。続くアザレア賞では11着と惨敗しましたが、その後の富良野特別、阿寒湖特別を連勝し、セントライト記念でも4着に入り、菊花賞勝利へと繋げました。
2000第61回 エアシャカール
菊花賞を制したエアシャカールは皐月賞にも勝っており2000年のクラシック二冠馬になりました。 エアシャカールは早くからクラシック候補として注目されていましたが、騎乗する側から見れば非常に難しい馬だといわれていました。
菊花賞では2番人気でしたが、武豊騎手の好騎乗もあってトーホウシデンをクビ差で退け、見事に皐月賞・菊花賞の二冠馬となりました。
キングジョージY&QEDSでは5着、神戸新聞杯では3着でしたが、次走の菊花賞で雪辱を果たしました。
1999第60回 ナリタトップロード
菊花賞優勝馬のナリタトップロードは、常にファンから愛される馬でしたが、2005年11月に急死しました。 菊花賞ではナリタトップロードは3番人気でしたが、渡辺騎手が「長く使える脚」を上手に生かして、第4コーナーからラストスパートをかけ、後続の猛追を振り切って初のGI制覇を成し遂げました。
ナリタトップロードの菊花賞以前のレースは、デビュー2戦目の新馬戦で初勝利を挙げ、次走の福寿草特別では3着に終わったが続くきさらぎ賞・弥生賞を重賞を連覇しました。しかし皐月賞3着、日本ダービー(東京優駿)2着をGIでは勝てず、菊花賞前の京都新聞杯でも1番人気ながら2着と破れ、菊花賞に雪辱を期しました。
1998第59回 セイウンスカイ
菊花賞優勝馬のセイウンスカイは皐月賞も制しており、二冠を達成しました。誕生当時の西山牧場は、成績不振を理由に産駒の約100頭近くも処分する予定だったが、その中から3頭だけは残そうと言うことになり、その中にセイウンスカイとセイウンエリアがいました。
菊花賞ではセイウンスカイは2番人気でしが、前半をハイペースでとばしたあと一気にペースを落とし、ラストの1000mをまたハイペースで逃げて、後続を3馬身半も離して勝利しました。このときのタイムは当時の菊花賞レースレコードで、また3000mの世界レコードでした。
セイウンスカイの菊花賞前の戦績は、デビューの新馬戦と続くジュニアカップを連覇し、重賞初挑戦の弥生賞は惜しくも2位になりましたが、次走の皐月賞でGI初制覇を果たしました。日本ダービー(東京優駿)は4着に終わりましたが、次走の京都大賞典で雪辱を果たし、菊花賞へと繋げました。
1997第58回 マチカネフクキタル
菊花賞を制したマチカネフクキタルは、歴代の菊花賞馬や近年クラシック馬の中で、実力的評価はかなり低いものでした。 菊花賞では、マチカネフクキタルは血統的なスタミナ不安が囁かれる中をスローペースを差し切り、3番人気ながら見事にGI初勝利を挙げました。
マチカネフクキタルの菊花賞前の戦績は、デビュー6戦目のプリンシパルステークスで2着に入り、日本ダービー(東京優駿)は7着に敗れたものの、以降のさくらんぼステークス・神戸新聞杯・京都新聞杯を3連勝で飾り、菊花賞へと弾みをつけました。